人は、幸せになりたいと思っています。
しかし、多くの人が幸せではありません。
なぜでしょうか?
それは、幸せは「なる」ものではなく「感じる」ものだからです。
その感性がなければ、たとえ今が幸せの絶頂期であっても、
それを「感じることができない」のです。
戦国時代に比べれば、今は殿様よりも豊かな暮らしができています。
戦国時代は雨の代わりに槍(やり)が降ってきました。
そして、暑くてもクーラーもありません。
物価が上がったからと言って、食べ物が全く食べられない人はいません。
戦国時代は、フカフカの布団だってありませんでした。
しかし、今はフカフカな布団で寝れます。
そして、多くの人がスマホを持っています。
検索すれば、全ての答えはAIが出してくれます。
また、スマホから音楽だって聴けるのです。
戦国時代に楽器もありませんでした。
そうした豊かな暮らしができているのが日本です。
しかし、そうした豊かな生活も豊かだと感じられなければ、
いつまで経っても幸せと感じられないでしょう。
つまり、幸せは感性の問題なのです。
例えば、災害に合えばどうでしょうか。
何日も食べられず、お風呂も入れず、フカフカの布団もありません。
そうした中で、食べ物が配給されれば、
食べられるだけで幸せを感じます。
しかし、満腹になればどうでしょうか。
今度は、暖かい布団で寝たいとなります。
それが満たされたらどうでしょうか。
次は、お風呂…。
そうやって人は、次から次への欲求が高まります。
最初は、食べられるだけで幸せを感じられていたにも関わらず。
ですから、「たまには不便な生活を強いられる」と良いかもしれません。
そうすれば、いかに今の生活が便利で快適かが身にしみるはずです。
そうしたことに氣づくために、神さまは「不幸な出来事を起こす」のかもしれません。
心あたりがありませんか?
人生には、必ず一度や二度、そうした不幸と感じられる出来事が起こることを…。
例えば、
会社をクビになった。
ガンのような大病になった。
大切な人が亡くなった。
詐欺で大金を失った。
離婚をした。
などなど。
そうしたことは、必ず一つや二つ人生に起こります。
一見すると、それらは不幸な出来事です。
しかし、過ぎてしまえば素敵な思い出に変わります。
そして、思い込みの転換点となります。
例えば、病気をしてみると健康の有難みが分かります。
大切な人が亡くなると、その人がいかに大切だったかが分かります。
しかし、多くの人が失ってみて初めてそのことに氣づきます。
もっと早くに氣づけば、精神的にも楽だったにも関わらず。
しかし、それが人間のサガです。
ですから、そうした出来事は出来事として受け止めるのです。
そして、たまに想像してみると良いでしょう。
そうした不幸な体験を…。
そうすれば、「今がいかに幸せかが感じられる」ようになります。
日本は、なんだかんだ言っても平和な国です。
戦争もありません。
基本的に思いやりがあり、優しい人柄の人が多いです。
ですから、「本来は幸せを感じられるはず」なのです。
しかし、そうしたことに意識を向けない限り、
どんなに恵まれた環境にいても、「幸せに感じることはない」でしょう。
偉そうに言っている私も、
不平・不満が溜まることがあります。
しかし、そうしたときは、「ない」ことに意識を向けるのではなく、
「ある」ことに意識を向けるようにしています。
そうすれば、満たされた気持ちになります。
自然は全てを与えてくれています。
それも無償で…。
空気も太陽も水も。自然は全てを与えてくれています。
そう、あなたは既に満たされているのです。
「ある」ことに意識を向けさえすれば…。
そもそも、生きたくても生きられない人もいます。
食べたくても、食料がまったく手に入らない国もあります。
それに比べて日本で飢えることはありません。
そうした「ある」ことに目を向けてください。
そして、あなたのあるがままでいてください。
背伸びをする必要がもありません。
そのままの自然でいいのです。
そして、今が幸せと感じられる感性を磨いてください。
そうすれば、あなたは「今のまま」で幸せを感じられますから…。
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